決めかねる

ダイソーで買ったパンダ柄のノートに書いておくようなことを書きます。すごくタイポが多いです。

論争からの脱落

障害児の親をやっていて個人的に1番辛いのは顧客や当事者でなくなっていくことです。(こう言えるのは息子が温和で他害や多動がないからです。ただひたすら頭が悪いだけだという…)

書店で売っている学年別に編集された学習参考書なんかその学年の時には買いません。習熟度別の公文のお世話になると思います。

面白い漫画を紹介しつつ少年漫画誌ラッキースケベはありやなしやみたいな話を熱心に取り上げているブログを購読していたんですが辛くて購読解除しました。

あの手の描写がある漫画は知的障害があり幼く社会性が低い子供には問答無用で読ませられない、と強く感じているからです。ここからは言葉が乱れます。

おうおうこちとら療育先から真っ先に言われたのが

「犯罪被害者にしない・加害者にしない」

だぞ!

同意のない接触は一括して禁止させるしかない子供を育てていると軽い冗談で主人公がヒロインの胸揉んだりする漫画なんか読ませられないよ!

だって知的障害があるから空想と現実の区別がつけられないんだぞ?!

よく規制反対!オタクは空想と現実の区別がついてるし性犯罪の被害者になった女どもは漫画を叩かず加害者を叩け!つう変態紳士の声を聞きますが(話題がずれるけどなんで加害者へのアクションをやっていないと思い込んでるのか謎です。SNSに書かない事なんか沢山あるでしょ)

つかない子がいるの。実在するの!

としか思えない。

少年誌の制作側がラッキースケベ描写で金が儲かる!これで読者が喜ぶ!と認識している限りあのノリは続くでしょう。だから我が家の場合は区別が付くくらい成長するまでは大丈夫そうな単行本しか買ってやれない。

その昔、学校の行き帰りにコンビニに寄ってはいけないのがスタンダードだと姪っ子や甥っ子から聞いて行きがけに雑誌買えないの?!とびっくりしたしそんなルールバカじゃねーのと思ったのにそのルールに乗っかるしかないこの現状に打ちのめされているからあの手の論争を読むのが辛い。

ねじれの位置にいる様なもんです。論争の行方には興味あります。どうなるんだろうね?でも手塚治虫が言ってる事が
どう考えても正しいからそこに立ち返っていく様な気がする。この「民衆や国民や大衆」の中に女性が入るかどうかの争いなんだろうなあ。