決めかねる

ダイソーで買ったパンダ柄のノートに書いておくようなことを書きます。すごくタイポが多いです。

人が不幸になる3つの理由

精神科医と作家が語った、人間が不幸になっていく三つの理由とは?~大人の不幸が虐待を生む(中央公論) - Yahoo!ニュース

春日武彦(以下、春日。精神科医) 大阪の二児遺棄事件が基になっているこの小説、どうしてあの事件を題材にしようと思ったんでしょう。

山田詠美(以下、山田。作家) 事件から懲役三〇年の判決が確定するまで、二年半ほどあったのですが、テレビのコメンテーターとかの言うことが、勧善懲悪に満ちていて。人生の岐路があったとき、こっち側なら大丈夫だったのに、あっち側に一歩行ったがゆえに破滅に向かう─そんな誰にでも起こり得る過ちがこの人たちは全然理解できないんだな、と。「これは私が書くしかない」と思っちゃったんです。

春日 僕、この小説を読んで、よくもまあガチでこれだけ書いたもんだとびっくりして。思い出したのが、富岡多恵子さんの短編で、「末黒野」(『遠い空』中公文庫所収)。どういう話かというと、すごくいい加減な男がいて、女房と別れて子ども二人、男の子と女の子を引き取った。ところが、ろくに面倒もみずに、近所にバレるとうるさいから、鍵閉めてわからないようにして、そのまま出稼ぎかなんかに行っちゃう。そして子どもは死ぬ─ひどい話なんですけどね。わざと説話みたいな感じで淡々と書いてある。「長編でやったら大変だろうな」って昔から思ってたんですが、ここに書いた人がいた(笑)。小説って、一行空きにすることで話を端折ってしまえるようなところがあるじゃないですか。

山田 そう、絶対それをやりたくなかったんです。行間嫌い。(笑)

春日 そこをキチッと埋めてるところが力業だし、すべてを書き切らなきゃならないと思ったところが、執筆の動機なんだろうなという気はしていました。

山田 春日さんは最初、産婦人科医でいらしたのが、子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃないのがつらくて精神科医に─、と何かで読んだのですが。

春日 この人が子どもを育てるのか、と首を傾げたくなる親がいくらでもいるわけです。でも商売柄「おめでとうございます」と言わなきゃならない。不幸の始まりに立ち会っているようなものなのに。それが嫌でね。

山田 ヒエラルキーの上にいると思ってる人たちは、下なんか見ないじゃないですか。私、『つみびと』でその世界を書きたいと思ったんです。地方ならではの事情を抱えた子も、いっぱいいるんですよね。

春日 産婦人科医だったとき、田舎の病院に派遣で勤めたんです。一番びっくりしたのが、妊婦ではなく夫のほうの言い分。彼らが語った本音を要約すると、結婚する理由が、恋愛でも見合いでも政略結婚でもない。「ただでセックスさせてくれて、ついでに家事もしてくれる。おまけに結婚していれば変人と思われない」。ごく普通の人が言うんです。考えちゃうよね。

山田 いろいろと話を聞いていると、「教養」の問題があるかな、と。教養って、よくも悪くも使えるもので……。必要だなと思うことがあります。教養は教育で得るもので、その教育をあらかじめ絶たれてる人たちがどれほどいるかを考えると、教育を優劣をつけるためのものではなくて、便利に応用できるものとして教えてあげないといけないなと思うんです。

春日 教育って、「選択肢が見えるかどうか」ということですよね。

山田 そうなんです。何かを自分でチョイスする自由があるかどうか。

春日 『つみびと』を読んで考えたのが、人間が不幸になっていく理由。一つはね、「大間違いな工夫」。ちゃんと、抜き書きしてきました。たとえば、の母が夫の暴力で嫌なことがある度に「さあ、仕切り直し、仕切り直し」って言う。その部分だけ見ると、ヤフー知恵袋で紹介されそうだけど、目を逸らすことによって問題の本質は見失われる。あるいは、琴音が継父にレイプされるとき、「心を飛ばす」。まさに解離ですよね。あるいは、琴音の娘のが誰かにすがる行為を自分に禁じる。頼らなければ断られて傷つくこともないから。そういう、いじましい小さな工夫を重ねることによって、さらに不幸になっていく─。そこが丁寧に書かれていることに、すごく感心しました。

山田 うれしいです。一番、自分に課していたところなので。

春日 そしてもう一つがね、「痛々しい見当違い」。子ども二人を殺してしまった蓮音が「なぜ助けを求めなかったか?」と聞かれて、「幸せじゃない自分を知られるなんて死んだ方がまし」と言う。あるいは、琴音がレイプされるとき、「私がいい気になっていたせいで、こんな事態を招いてしまった」と思う。子どもって「自分が悪い、自分のせいだ」と思ってしまうものなんですよね。

山田 いじめが原因で事件が起きると、「なんで言ってくれなかったんだ」と言うけれど、自分のちっさなプライドが邪魔して、親になんて言えるわけない。

春日 そのバランスの悪さね。特に子どもは言語化できないから。

山田 そう、言語化できないもどかしい人たちがいる。今回は「普通だったらこんなのわかるじゃん」というところを、「いちいち言わなきゃわからないんだ」と思いながら書いていました。

春日 三つめが「被害者意識」。蓮音が、四歳の息子の桃太に、「モモも、ママの邪魔すんの!?」って言う。あれは決定的な一言だよね。全員、自分が被害者だと思っている。被害者意識って、とんでもないことをするときのゴーサインになるから。怖いものです。

(『中央公論』7月号掲載の対談記事から冒頭を抜粋)

障害児育児においても全部あるあるネタ

  1. 大間違いな工夫
  2. 痛々しい勘違い
  3. 被害者意識

被害者意識は本当に取り扱いが難しい。本当に被害にあった時は被害者意識を持ってきちんとしたプロセスを経て納得して問題を解決しないとモンスターペアレントとかモンスターペイシェントが生まれる。

これを避けるにはやはり専門家のクロスチェックが必要で内にこもっていて良いことなんか何一つないなと思った。

障害児育児ブログを読んでいると保育園や幼稚園や学校と戦い始める人がいてすごく損をしていると思う。確かに共感力のカケラもないサイコ野郎も紛れ込んでいますがそういう人は除外するとして、プロが味方になってくれたらものすごく頼もしいのに勿体無い。

あと山田詠美さすが。教養によって何かを自分で選ぶ自由を得る、というのは本当にその通りです。

知識を排除に使わないで欲しいし

学歴を被害者が萎縮してしまうような情報発信の根拠にしないで欲しい。