「支援学校で知り合った障害児育児の先輩ママからの説教ウゼェとおもっていたのに今は若い障害児ママのムーブを見ると説教したくてたまらない!だからあなたもいずれ老いて説教にハマる日が来る」と障害児育児の先輩ママから言われた友人がいます。
私は実生活のみではママ友を作れませんでした。
インターネッツで知り合って絶望的に遠距離なのでLINEアカウントを交換してLINE電話で話して年賀状をお互いに出すだけ、という人が1人。(子供は同い年でこの人が説教についてはお前も将来分からんぞと言われた人)
インターネッツで知り合って思ったより近いやんけ、で80キロ移動して遊ぶ約束をするようになった人が1人。(障害のある子供は年上だが息子と同い年の弟もいる)その2人だけです。
独身時代からの友人がママになってまだつるんで遊ぶというのはあるんですが子供がきっかけでできた友人は2人しかいません。
息子の通う幼稚園ではなんかめんどくせえという倦怠感が先にたち、完全に心を閉ざしたドーナツを食う微笑みデブとしてやり過ごしています。
なぜそんな私に障害児育児のパイセンがいるのか。
実は息子の幼稚園の先代園長先生がパイセンなのです。パイセンには急死した親戚がいます。お亡くなりになった方のお子さんが障害児で「この子は自分以外の血縁者には絶対に育てられないだろう」と思って遺された子を養子としました。
引き取った子を療育園に入れ支援学校へ就学させ通う作業所を確保してグループホームに入れ、すごろくで言うなら上がりまでやりきったパイセンなのです。
「親が先に死ぬから成人したら手放すつもりで育てなさい。他人に愛されるように導いてあげて」
という言葉は常に私のレバーに響きます。しかしやりきったパイセンの晴れやかな姿は私に勇気を与えてくれます。(週末だけ帰ってきて一緒に過ごすそうです)
支援学校か支援級か分かりませんが息子が就学した先でママ友が出来たり新たなパイセンも出来ることでしょう。
ムカつく助言をされる事があるやもしれません。でも先代の園長先生より私のレバーに響くライムを紡げる人はきっと現れないような気がします。