決めかねる

ダイソーで買ったパンダ柄のノートに書いておくようなことを書きます。すごくタイポが多いです。

フィクションと現実と

細田守作品を褒める人にだけ取り付く妖怪がこの世に存在しないのでやはり現実はクソ。

私は言語化出来ない状態にとても弱く悩み事を様々なところで開示するという迷惑行為に及んでいます。物語は所詮現実ではないのでどんなに悲惨でもそれが作者の意図した通りならば「見事な地獄でした。元気がある時にしか観れない!(読めない!)」で終了なんですがその悲惨さが大絶賛されていると「異議あり!」と言いたくなってしまう。

「ダンサーインザダーク」「嫌われ松子の一生」の現実逃避の美しさは凄いんですが「ダンサーインザダーク」の主人公って知的障害を伴う自閉症にしか見えないし「嫌われ松子の一生」と「おおかみこどもの雨と雪」の主人公も自閉症にしか見えない。

3人とも自閉症であるという病識がないから正しく助けてと誰にも言えず社会生活が破綻する。生活のなかで幸せを感じる瞬間は多々あれど社会生活が破綻した主人公達を観て「誰にも頼らず自分のなかで葛藤を完結させた主人公達の強さが美しい」みたいな感想を目にすると「異議あり!」と言いたくなってしまう。

医療と社会福祉の失敗例では?ということは独身時代から感じていたんですがちょっとテイストが似た作品に触れて大絶賛する人の大絶賛の仕方がまた「誰にも頼らず」系であらこれ既視感あるわあと思ったので臨床心理士とのカウンセリングがあった時に考えを整理するために一連の話を聞いてもらいました。

絶賛してる人は現実に存在するという事実を怖がっているのでは?と言われてなるほどね〜と思いました。相手のビジョンが浮かべば後はこちらの主張の言語化は容易いです。

従妹が難病患者で息子が障害児という立場の人間が「誰にも頼らず」系の物言いを目にする時に感じるのはこういう人達が依存先を数限りなく増やしてそれぞれの依存先への負担を出来るだけ薄く軽くするという障害者なりの自立を揶揄するんだろうなーって事です。揶揄されたら絶対に言い返してやりたい内容が決定したのでちょっと気が楽になりました。

親が死ぬまで個人の力で支えて親が死ぬ日に障害のある子供を殺せば誰にも頼らない事になるんでしょうけど望んで障害を持って生まれたわけではない息子が何故そんなコストを払わないとならないんでしょうか。

「誰にも頼らず」の物言いをする人にこう言えばそこまで極端なことは言ってない!と返答してくれるとは思います。

でも自分の想像力には限界があり想像する世界の外に住まわされている障害者、難病患者などのマイノリティが存在すると判明した時にマイノリティにコストを支払わせようとするのは止めて欲しい。

マイノリティがコストを支払う様を良いものとして描かないで欲しい。

フィクションはどんな悲惨で残酷なものも扱って良いのです。例えばストレンジフルーツを作りまくっていたKKKをフィクションで扱ってもいいけれど賛美しちゃダメでしょ。

そういう事が言いたい。